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東京都世田谷区の歴史
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所在地 世田谷区弦巻3-29-6

曹洞宗
 鶴松山 実相院
 寺伝によれば、当寺の開山は天永琳達大和尚、開基は、吉良左兵衛佐氏朝とも子の頼久ともいう。本尊は薬師如来。
 天正18年(1590)、小田原北条氏の滅亡に際し、世田谷城主の吉良氏朝は城を去り、下総国生実(現千葉市)に逃れた。
 徳川家康が江戸入府後、氏麻は再び世田谷に帰ったが、世田谷城は廃城となり戻ることを許されず、この地に閑居し慶長8年(1603)示寂した。
 「新編武蔵国風土記稿」には、「今境内ニ氏朝夫婦ノ碑アリ、氏朝ノ碑面ニハ実相院殿四位下学翁玄参大居士、慶長八年九月六日ト刻シ、夫人ノ碑ハ鶴松院殿快窓寿慶大姉トアリ。」と、記されているが、現在、この墓碑は所在不明である。氏朝の位牌んみ本堂に安置せらる。
 慶安元年(1648)、家光より朱印地十石二斗二升を賜っている。
 昭和61年(1986)11月 世田谷区教育委員会












 北門

 実相院には『高橋是清翁之鬚墓』、『武蔵の國 世田谷の史蹟碑』があります。
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