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東京都世田谷区の歴史
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所在地 世田谷区桜1-26-35 (勝光院)

 勝光院の梵鐘
 本梵鐘は、元禄11年(1698)、当山第十三世隆山傳盛の代に制作されたもので、区内に伝われる梵鐘としては、2番目の古さである。第二次世界大戦に際し供出に応じたが、幸い鋳潰しを免れ、しばらくの間、葛飾区東金町の金蓮院に伝えられていた。昭和52年(1977)、当寺に返還され、今日に至っている。
 梵鐘の形姿は、優美で均整がとれ、各所に見られる装飾も堅実な出来栄えであり、工芸品として優れている。制作者の加藤吉高は、八王子に本拠をおき、江戸時代をつううじて主に三多摩地方を活動範囲とした所謂「加藤鋳物師」の一人である。
 本梵鐘は、吉高の力量が窺えるとともに、加藤鋳物師制作の鐘の変遷を考えたうえでも重要な位置を占めている。また、元禄年間頃の当寺について記す史料は、井伊家文書中の『世田谷弐拾ヶ村御帳』(元禄■年/彦根城博物館蔵)以外知られておらず、この時期の銘文を有する本梵鐘の存在意義は高い。
 
 近世世田谷区歴史を知るうえで、また、世田谷の近世美術工芸品を語るうえにも、本梵鐘は貴重な遺品である。
 平成1■年12月 世田谷区教育委員会







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