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東京都世田谷区の歴史
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所在地 世田谷区経堂4-6

 菅刈橋跡
 江戸幕府編纂の『新編武蔵風土記稿』には、今の世田谷区・目黒区・大田区にまたがる旧39ヶ村の区域と、飛地として品川区・三鷹市の旧各一村が、古代末期の「菅狩苅庄」に属していたと記されている。
 同書はさらに、現在のこのあたりが、庄名発祥の地で、菅刈谷の地名と、菅刈社・菅刈端があった。菅刈橋について「字横ねヨリ北ノ方ニアリ、悪水溝ニカカル橋ニシテ、漸ク石梁二枚ヲ渡セリ。」と述べている。
 区内旧大蔵村の出身で、江戸幕府の書物奉行の石井至穀著述『世田谷徴古録』の中にある菅刈谷・菅刈社・菅刈橋などの挿絵図と、国土地理院発行の明治・大正時代の地形図とを対照すると、風土記稿に言う菅刈橋は、この位置にあったt推定される。
 よってこの標示をして、往時をしのぶよすがとする。
 昭和60年(1985)3月 世田谷区教育委員会






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所在地 世田谷区経堂1-22-1

曹洞宗
 経堂山 福昌寺









 福昌寺には『菅刈庚申塔』があります。


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