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東京都世田谷区の歴史
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所在地 世田谷区世田谷1-29-18 (郷土資料館)

 標石
 銘文(正面) 
品川領用水御普請所
          
保7申歳2月
 年代      
天保7年(1836)
 伝来
 寛文2年(1662)、熊本藩主細川越中守綱利の弟・若狭守利重が品川領戸越に抱屋敷を取得したが、その邸内の泉池用に、野川村新川より仙川養水を分水して戸越上水を開削した。
 仙川養水は境村(現武蔵野市)から玉川上水を分水したものであった。細川家ではこれを寛文6年(1666)に廃止したが、早損に苦しんでいた品川領宿村の農民がこの古堀を用水として賜りたいと願い出て、翌寛文7年(1667)幕府の許可を得た。灌漑用水としては細小だったため、寛文9年(1669)幕府は水路の拡張工事を行った。
 品川用水は、本区だけでも烏山・粕谷・廻沢・船橋・世田谷・弦巻・世田谷新町・馬引沢の旧八か村を流れ、全長七里(約28キロメートル)にも及ぶものであった。上流で数ヵ所の分水口が設けられたことなどから、品川領宿村までの引水量は充分ではなく、用水をめぐる争いが絶えなかった。
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