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東京都世田谷区の歴史
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所在地 世田谷区世田谷1-29-18 (郷土資料館)

 山吉講冨士登拝記念碑
 富士山に対する信仰は原始的な山岳信仰として旧くから存在したが、庶民の間に冨士登拝の風習が盛んとなったのは富士の行者・食行身禄が現れて庶民の救済の教義を提唱した十八世紀以降のことである。食行身禄の弟子たちは独立して講を結成し、さらにそこからは多くの枝講が生まれることとなった。こうして、冨士講は十九世紀の初頭にその隆盛期を迎え、俗に「江戸八百八講」と呼ばれる程の発展を遂げたのである。
 当冨士登拝記念碑は、三軒茶屋の冨士講(=山吉講)先達の堀江兼吉が、講中の三十三回冨士登拝を記念して屋敷地の一角(現・太子堂4丁目438番地付近、茶沢通り路上)に建てたものである。また、その際、北口本宮冨士浅間神社(現、富士吉田市)の境内にも、もう1基記念碑を建てており、それも同所に現存している。
 堀江家は「三軒茶屋」という地名の由来となった三軒の茶屋の1つ田中屋を経営した旧家である。
 平成5年(1993)3月 世田谷区教育委員会
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