東京都世田谷区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 世田谷区世田谷1-29-18 (郷土資料館) 庚申塔 銘文 (左側面) 右り 江戸道 (正面) 庚申塔 (右側面) 左り 世田ヶ谷四ッ谷道 (背面) 文政十丁亥年十一月吉日 用賀村下講中 年代 文政10年(1827) 伝来 中国の道教では、人間の体内にいる三尸が庚申の夜に抜け出し、天帝にその人の罪過を告げるというので、庚申の夜には身を慎んで徹夜をせよと説いた。この守庚申の信仰は、日本に伝わり奈良・平安時代には宮廷を中心に広まったが、民間に浸透するにあたって仏教や神道の影響を受け変容した。江戸時代に亥は庚申堂が建てられ、庚申講が組織されるようになった。 この庚申塔は用賀村下講中によって建立されたもので、道しるべの役割を持つものである。青山大山道が三軒茶屋で二手に分かれて用賀3丁目で再び合流する地点にあったものである。交通量の増加に伴って、一時真福寺境内に保管されていたが、同寺から当館へ寄贈されたものである。 PR |
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永山
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