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東京都世田谷区の歴史
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所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 三鈷の松
弘法大師空海上人が唐から帰朝する時三鈷を「密教有縁の地に行きて我を待つべし」と天高く投げられました。帰朝後、高野山で松の枝に留まっていた三鈷を派遣し高野山を伽藍建立の場所に定めたとされています。落ち葉を持っているとご利益があると云われています。


所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 神州不滅特別攻撃隊之碑
第二次世界大戦も昭和20年(1945)8月15日祖国にほんの敗戦と云う結果で終末を遂げたのであるが、終戦后の8月19日午后2時当時満州派遣第一■675部台に所属した今田均少尉以下10名の青年将校が、「国敗れて山河なし生きてかひなき生命なら死して護国の鬼たらむ」と又大切な武器である飛行機をソ連軍に引渡すのを潔しとせず谷藤少尉の如きは結婚間もない新妻を後に乗せて前日二宮准尉の偵察した赤峰附近に進駐し来るソ連戦群に向けて大虎山飛行場を発信前記戦車群に体当り全員自爆を遂げたものでその、自己犠牲の精神こそ崇高にして永遠なるものなり 此處に此の壮挙を顕彰する為記念碑を建立し英霊の御魂よ永久に安かれと祈るものなり

陸軍中尉    今田達夫    広島
  〃      馬場伊与次  山形
  〃      岩佐輝夫   北海道
  〃      大倉巖     北海道
  〃      谷藤徹夫    青森
  〃      北島孝次    東京
  〃      宮川進二    東京
  〃      日野敏一    兵庫
  〃      波多野五男  広島
少尉       二ノ宮清    静岡
 
 昭和42年(1967)5月 神州不滅特別攻撃隊 顕彰会建之



所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 仁王像 平安後期12世紀後半都内最古の仁王像
平安時代の金剛力士像
法用寺 (ほうようじ 福島県)国重要文化財
財賀寺 (ざいがじ 愛知県) 国重要文化財
善水寺 (ぜんすいじ 滋賀県)国重要文化財
醍醐寺 (だいごじ 京都府)国重要文化財
峰定寺 (ぶじょうじ 京都府)国重要文化財
安楽寺 (あんらくじ 青梅市)都有形文化財




所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 特攻観音堂(本堂)

 聖観世音菩薩
国のために生還を期することのない特攻作戦に志願して若き命を捧げた特攻隊員英名が奉蔵されています。
  陸軍
航空      1,355柱        
空挺・降下    615柱

海上挺進     265柱
戦車         9柱
計       2,244柱

  海軍
航空     2,548柱
水中(特潜)   437柱
水中(回転)   104柱
水上(■洋)  1,085柱
計        4,174柱
合計     6,418柱

 別名
施無畏者(畏れ無きを施す者)
私達の怖畏心(恐怖心)を取り除いて下さる菩薩
 御真言
おん あろりきゃ そわか


所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 特別攻撃隊の頌碑
    "TOKUBETSU KOGEKITAI" IN MEMORIAM
 FROM THE BEGINNING OF THE GREAT EAST ASIAN WAR.ON WHICH WE STAKED THE EXISTENCE OF OUR NATION,SUICIDE ATTACKS WERE THE AGES OF THOSE FEARLESS MEN RANGED FROM 17 TO 30.LEAVING BEHIND THEIR PARENTS AND LOVED ONES,AND ABANDONING THEIR OWN HUMAN-BOMB ATTACKS IN THE SKIES,ON THE SEAS AND ON THE LAND,WHILE THEY ACHIEVED OUTSANDING MILITARY SUCCESSS AT THE COST OF THEIR PRECIOUS LIBES.
 THE DEATHS TOTAL SOME 6,000 MEN.THE SUICIDE OPERATIONS,INCOMPARABLE IN THEIR TRAGIC BRAVERY,STRUCK TERROR INTO THEIR FOES AND ENGULFED THE ENTIRE COUNTRY IN TEARS INTO GRATITUDE FOR THEIR UNSTINTING LOYALTY AND SELFLESS SACRIFICE.
 THE DEVOTION OF THE "TOKUBETSU KOGEKITAI" WILL REMAIN FOREVER IN THE HEARTS OF THE JAPANESE AS AN EXPRESSION OF PATRIOTISM,IN ITS NOBLEST AND PUREST FORM,WHILE AT THE SAME TIME LEAVING AN INDELIBLE IMPRESSION AMONG THE PEOPLES OF THE WORLD.THIS SPIRIT HAS LAID THE GRONDWORK FOR THE PEACE AND PROSPERITY OF OUR NATION TODAY AND IN FUTURE.
 IT IS WITH FEELINGS OF DEEPEST SORROW FOR THE DEATHS OF THESE YOUNG MEN THAT WE ENTER THE HISTORICAL MATERIALS OF THE "TOKUBETSU KOGEKITAI" IN THIS "YUSHUKAN". MAY THEIR SPIRIT AND THEIR REMARKABLE ACHIEVEMENTS INSPIRE US FOR GENERATION AFTER GENERATION.
   TSUNEYOSHI TAKEDA
   PRESIDENT
   ASSOCIATION OF "TOKUBETSU KOGEKITAI IREI KENSHO-KAI"
  DECEMBER 8 1985



所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 南無観世音の碑
後の世も此の世もともに 安らけく守らせたまえ 南無観世音  浅草寺恭順
(金竜山線素地第二十四世貫首 清水谷恭順大僧正猊下書)




所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 不動明王
(酉歳一代の守本尊)
御真言
のーまくさんまんだー ばーさらだんせんだん まーかろしゃーだー
そわたや うんたらたー かんまん


所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 文殊菩薩
大宰府天満宮より招来
 (卯歳一代の守本尊)
学業成就・・・諺に三人寄れば文殊の智恵
御真言  おんあらはしゃな



所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 夢違観音
悪い夢(二度と経験したくないこと、思い出したくないことなど)を良い夢に変えてくれます。

 


所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 門標

世田谷山観音寺
   元内閣総理大臣  吉田茂 書



所在地 世田谷区下馬4-9-4 (世田谷観音 観音寺)

 鬱金の桜  金の成る木の金桜
淡黄色に咲いて散り際に花弁が紅くなります




所在地 世田谷区世田谷1-29-18

 世田谷区立 郷土資料館

ホームページ ⇒ http://www.city.setagaya.lg.jp/990/d00004199.html



 郷土資料館には『「世田谷のボロ市」説明板』、『供養塔』、『狐の石造』、『三界萬霊塔』、『標石』、『道標』、『地蔵菩薩立像』、『庚申塔1』、『庚申塔2』、『庚申塔3』、『庚申塔4』、『摺臼と搗臼・麦打ちコロ』、『山吉講冨士登拝記念碑』があります。
所在地 世田谷区世田谷1-29-18 (郷土資料館)

 世田谷のボロ市  指定年月日 平成19年(2007)3月15日
 世田谷のボロ市は、天正6年(1578)に小田原城主北条氏政が世田谷新宿に宛てて発した「楽市掟書」に起源を持つとされている。掟書によると、この楽市は1と6の日の、1ヶ月に6日開かれる六斎市であった。しかし江戸時代にあると江戸商業圏の拡大により、市は年に1回、12月15日の歳の市となった。市で売買された品は多彩で、歳の市といっても単に正月を迎える準備のためだけではなく、1年を通して必要とする様々な品物をそろえる場であり、生活や農業生産の上で欠かせない市であった。
 この市は、明治6年(1873)の太陽暦の採用によって、翌明治7年(1874)から旧暦の歳の市に相当する1月15日にも開かれるようになり、また明治中期には16日も開催の定例となた。市の名称は、正式には「市町」といったが、明治中期頃から「ボロ市」が一般的となった。これは草鞋の補強や野良着を繕うためのぼろや、古着などが市商品の大半を占めるようになったからである。
 ボロ市は400年以上にわたり、それぞれの時代に対応し、様々な変化をしながらも、ほぼ同じ場所で継続して開かれてきた。戦後は急激な都市化と生活の変化によって扱われる商品も変わり、ボロ市も脳音の生活市ではなくなってしまった。しかし、今でもボロ市は、数少なくなった正月を迎える節季意識を伝える行事として、多くの人々に親しまれている。
 平成19年(2007)3月 世田谷区教育委員会


所在地 世田谷区世田谷1-29-18 (郷土資料館)

 供養塔
 銘文
(左側面)
右 府中道
(正面)
文化十四年
 (梵字)馬頭観世音
 二月吉日
(右側面)
左 大山道
用賀村
 年代
文化10年(1813)
 伝来
 農家にとって、馬は収入の源であり財産であった。馬頭観音は、命を失った馬を弔うために建立された供養塔である。この供養塔は、用賀4-11-1の三叉路にあったもので、道標を兼ねていた。 
 昭和初期、近くにあった火の見櫓撤去の際に取り外され無量寺門前に移設されていたが、昭和42年(1967)に無量寺より当館に寄贈された。


所在地 世田谷区世田谷1-29-18 (郷土資料館)

 狐の石像
 銘文
なし
 伝来
 主神に従属し、その先触れ(みさき)となって働く神霊や小動物のことを「使わしめ(神使・神令)という。狐は、稲荷の使わしめであるが、「伊勢屋稲荷に犬の糞」という江戸の諺の通り、世田谷の村々でも屋敷神に稲荷を祀ることが多く、これが具象化されて祠の前に鎮座した。この石像は、昭和52年(1977)7月に三宿の大江淳一氏から寄贈されたものである。


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