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東京都世田谷区の歴史
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所在地 世田谷区弦巻4-32

 大山詣像
 江戸時代中期、関東一円の農村には雨乞いのために、雨降り山とよばれる丹沢の大山に参詣する習慣がありました。これを大山詣といいます。赤坂見附から青山、世田谷、二子、溝ノ口、長津田、伊勢原を経て大山に至るこの道は、俗に大山道とよばれていました。世田谷区内の大山道は、三軒茶屋、世田谷通り、ボロ市通り、そして弦巻を通って、用賀、二子玉川に行っていました。
 しかし、大山詣はしだいに、信仰は口実となり、帰り道東海道に出て、江ノ島や鎌倉で遊ぶ物見遊山の旅に変わってきました。この像は、そんな大山詣をする商家の主人をモデルに、たぶん一服しあだろうと思われるこの場所に設置したものです。
 昭和60年(1985)3月 世田谷区
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所在地 世田谷区桜丘1-1-1

 東京農業大学
農業大学にふさわしく、緑の多い構内に後者が建っています。正門を入ってすぐ、化石植物メタセコイアの小さな林があります。また正門横のイチョウは、東京管区気象台から委託を受けた生物季節観測標本で、東京の紅葉時の目安となっています。

ホームページ ⇒ http://www.nodai.ac.jp/

 


所在地 世田谷区桜丘4-14-18

 宇山稲荷神社
御祭神  宇迦之御魂神
鎮座地  世田谷区桜丘4-14-1
 由緒
新編武蔵風土記稿の荏原郡の部に宇奈根山■村の西の隅にあり」と記されて要るので、今の宇山の名はそれが縮まったものと思ふ、明治初年(1868)無格社稲荷神社であったので相当昔から土地の人等が稲荷様を祀って居た証據である其の後明治42(1909)6月12日当時の合祀令により郷社宇佐神社、今の世田谷八幡宮に形式上合祀されたが昭和29年(1954)1月26日神社本庁所属の宗教法人稲荷神社」として登記された。
「西向稲荷」と称して参拝する人もあり又「防ぎ神の神事」等古来の信仰行事を続けて居るのもこの神社を除いては尠くなった。
 





 


所在地 世田谷区三宿2-27-6 (三宿神社)

 旧江戸城城石の碑

過去五百年之進歩道灌不知
未来五百年之進歩我等不知
石又沈黙
江戸城築城之石
大田道灌築城五百年
 武者小路実篤


所在地 世田谷区上用賀2-4-28

 東京農業大学 「食と農」の博物館
  ナレースワン大王鶏の由来
  Chicken of Nareesuan the Great(Thailand)
 タイのアユッタヤー王朝第19代目ナレースワン大王(1555~1605)に因んだものである。モチーフは「カイ・チョン」と呼ばれる闘鶏用品種の1内種で、大王の名にちなんだ「カイ・ナレースワン」である。
 ナレースワンは永い間、ビルマ(現ミャンマー)の属国となっていたアユッタヤーに再び独立をもたらした救国の英雄で、とらわれの身の幼少期にビルマの副王と戦況を占う闘鶏を行った際に彼の鶏が勝利したと言われている。そしてのtにアユッタヤーを独立させたことから、「闘鶏」はナレースワンの象徴となった。
 タイ中部のスパンブリーに建立されてるナレースワン大王記念碑周辺には、大小数千体の闘鶏の置物が供えられている。これは人々が願掛けを行い願がかなったときに寄進をしたもので、そのことからも人々のナレースワン大王に対する敬愛の念がうかがえる。タイの人々にとっては、とても縁起のよいものなのである。 (「鳥学大全」より)
 所蔵:家禽資源研究会
 管理:(財)進化生物学研究

















所在地 世田谷区世田谷1-23-3 (世田谷信用金庫本店)

  北原白秋歌碑


 ぼろ市に 冬はまづしき 道のしも 桜小学に 通ふ子らはも












所在地 世田谷区世田谷1-29-18

 世田谷代官屋敷
  指定 昭和27年(1952)11月3日旧史跡指定
      昭和34年(1959)2月21日史跡指定 
 江戸時代のはじめ、大場氏は彦根藩井伊家領世田谷(2千3百石余)の代官職を務め、明治維新に至るまで世襲していました。この屋敷地はその代官役所として使用した居宅を含む屋敷跡です。
 大場氏は中世に世田谷城主であった吉良家の重臣でしたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めにより、北条方についた主家吉良家が没落すると、世田谷新宿(上町)に留まり帰農していました。寛永10年(1633)、井伊家が世田谷領15箇村(後に20箇村)を拝領した際に、代官に起用されました。以後、明治4年(1871)の廃藩置県に至るまで代官職を継ぎ、領内を統治してきました。
 屋敷は江戸中期の建築であり、代官所の中心である母屋は約70坪(約231.4㎡)、萱葺きの寄棟造りで、茅葺きの表門、土蔵、白州跡などの一部が今も現存し、往時の代官屋敷の面影を伝えています。
 平成22年(2010)3月建設 東京都教育委員会

     Setagaya Daikan Yashiki
 At the beginning of the Edo Period,Oba clan served as magistrates of Setagaya (over 2,300 koku;1 koku is approximately 180.39 L,based on a unit uniformly used as of 1690),which was a domain of Ii clan of Hikne;they took over this function generation by generation until the Meiji Restoration.The premises are the remains of thier residence,including residentiak buildings used as a magisstrate's office.
 Oba clan issued important vassls of Kira clan who were lords of Setagaya castle during the Middle Ages,however,when their lord,Kira clan supported Hojo clan ofOdaawara at the time of military campaigns led by Toyotomi Hideyashi against Odawara and the clan was brought to ruin,the Oba clan remained in Setagaya Shinjuku (Kamimachi),so that they areareduced to farmers.They are appointed as magistrate for Ii clan of at the time of granting 15 villages (later 20 villages) of Setagaya area  to the clan in 1633.Subsequently,they took over the position of the magistrate and engaged in the government of the villages until the abolition of the feudal domain system from the Edo Period in 1871.
 The residence was from the Middle Edo Period;the main building which was the center of  the magistrate's office is ca.70 tsubo(ca.231.4㎡) large,with a thatched and hipped roof.Main gate with a hipped roof and a storehouse  covered by nud daub,and a part of remains of courtroom are still extant in order to represent the images of the residence at the time of the magistrates.
 Tokyo Metroporitan Board of Education






  重要文化財 大場家住宅
 この住宅は、大場家7代六兵衛盛政が元文2年(1737)と宝暦3年(1753)の2度にわたる工事によって完成したものであります。大場家は、元文4年(1739)から幕末まで彦根藩世田谷領の代官職を世襲したのでその役宅としても使用されていました。
 江戸中期上層民家の遺構をよく保存する建物として、主屋及び表門の2棟が、昭和53年(1978)1月21日国の十四文化財に指定されました。











所在地 世田谷区世田谷2-4-15

 桜小学校のオオアカガシ
  指定 昭和47年(1972)4月19日
 校庭の南東隅にあり、樹高約20メートル、目通り幹囲は3.01メートルで、樹頂は北方に傾いてはいるが、全体として球状である。
 もと当地には仙蔵院があり、明治13年(1880)、廃寺となり桜小学校が開設されたが、本樹は仙厳院本堂の裏手にあったといわれている。
 都内で知られているオオアカガシのちでは巨樹で、樹勢は旺盛である。
 なお、目黒の大鳥神社境内に同種の指定樹がある。
 昭和47年(1972)10月30日建設 東京都教育委員会











所在地 世田谷区成城2-3-21

日蓮正宗
 大乗山 善福寺



所在地 世田谷区太子堂3-29

 林芙美子旧居跡
此の路地奥の二軒長屋は、林芙美子の不遇な時代の寓居でう。その一軒には壷井繁治、栄夫婦が住み、若い頃の平林たい子も度々訪れました。芙美子の処女作「放浪記」にはこの頃の太子堂での生活の一こまが描かれています。
壷井栄の「はたちの芙美子」にも当時の生活が記されています。芙美子のすぐれた文学性が磨かれた場所として文学史上、祈念されるべき場所と言っていいでしょう。
 昭和47年(1972)3月 世田谷区教育委員会









所在地 世田谷区大蔵1-6-20

 横根稲荷神社
 往古より三本杉横根のお稲荷様と尊称され稲荷講を中心として篤い崇敬と深い信仰をあつめてきました御社殿は永い年月により老朽化がはなはだしくなり相寄りあい語らいて御造営をいたし御神徳をお慰め申し上げることに致しました
子々孫々に至まで大神様のご加護を戴き互いに睦び和らぎつつ平和な世をおくり稲荷様の杜を後世に伝え護ることを祈念いたします
 建設委員会
 地鎮祭
平成元年(1989)8月6日
 遷座祭
平成2年(1990)1月24日
 御社殿改築
十坪
 社務所新築
三十坪
 鳥居
狐像建立
 手水舎
参道敷石新設










所在地 世田谷区桜丘4-13-4

天台宗
 南照山 久成院 東耀寺



 


所在地 世田谷区桜丘5-50-22

浄土真宗本願寺派
 浄立寺



所在地 世田谷区千歳台4-11-11

真言宗智山派
 青林山 東覚院 薬王寺

 玉川八十八カ所第42番霊場





 東覚院には『閻魔堂』、『涅槃像』、『木遣塚』があります。



所在地 世田谷区船橋4-29-32

真言宗
 波羅密山 宝性寺(寶性寺)

 新四国多摩川八十八箇所第43番霊場

本殿

船橋不動堂

太子堂



 


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